このページは 2007年 07月 15日 02時12分38秒 に更新した情報です。

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思いとは?

[ 148] 日々の思い
[引用サイト]  http://willseeds.txt-nifty.com/omoi/

毎日毎日、教育のこと、子ども達のこと、世の中のこと、真面目なこと、他愛ないこと、色々なことを考えています。
なぜなのかわかりませんが、今週は尋常じゃなくハードでした・・・。体力、気力には結構自信があるのですが、今週はホントダメかと思いました・・・。(苦笑)
皆さまのお気遣い、子ども達の元気のオーラのお蔭で、どうにか今週も乗り切ることができました。ありがとうございました。
しかし台風・・・。明日はお洗濯しても干せそうにありません・・・。バタバタしていて段取りが後手後手になってしまい、夏休みの予定をお伺いするのもすっかり遅くなってしまいました・・・。この日月である程度予定を立てなければと思っていますが、さすがに明日はぐったりかも・・・。大変申し訳ございませんが、通ってくださっている皆さま、今しばらくお待ちください。そして、夏休みだけ・・・と考えてくださっている方がおられましたら、いっこうにお知らせをすることができておりませんで、重ねてお詫び申し上げます。
そうそう!今週ハードになったのはもしかしたらそのせいかも・・・。(苦笑)先日、読書の方でご紹介した本に翌日やるべきことをリストアップして順位をつけるというようなことが書かれていたので、そこまで厳密ではないものの、当日の朝、出勤前にそれをやってみたのです。リストに書いたことをひとつでも減らしたい、1番をつけたことぐらいは終わらせたい・・・と、普段ダラダラして先延ばしにしてしまっていたようなことを今週はいくつか片付けました。だからなんだろうか・・・。(苦笑)
リストにして順位をつけるというのは、仕事を効率的にするという面では確かにかなり効果がありそうです。ただ・・・そうする以前にも既に結構きつい状態だった私がそれをすると身の危険(?)を伴うこともわかりました。(をい)
とりあえず、明日はなるべくしっかり休養したいと思います。(そうもいかないところもあるのですが・・・。)あ!!明日は父上の誕生日だった・・・。
幼児さんのレッスンの教具の中に、指先遊びのひとつとしておもちゃのカエルをジャンプさせてバケツに入れるゲームがある。
大抵の子は大喜びでやるのだが、最初のコツをつかむまではちょっぴり難しい。(それは大人でも同じ。)何度かやって入らないと「や〜めた」とか「もういやや!」とか言って明るく(?)投げ出そうとする子もいるし、性格によっては入らなくてイライラしてしまったり、悲しくて泣きそうになったりする子もいる。
昨日の子のひとりは、先日それをやったとき、どうしてもコツがつかめず、隣りの子は簡単に次々に入れてしまう姿を見て、泣き出してしまった。しかし、しばらく日にちが空いていたので、そのときのことを忘れて、パッとその教具を目の前に出してしまった。そして、(あっ!)と思ったのだが、一瞬にしてその子の顔が憂鬱そうな表情に変わってしまった。
そこで、とりあえずやってもらう前に、「よ〜〜く見ててね」と言って、ゆっくりよく見えるように何匹かを跳ばして入れてみせた。その後で、もう一度やってみてもらうことにした。
初めはちょっと嫌がってやろうとしてくれなかったので、もう一度やってみせながら声をかけると、なんとか指を置いてみてくれるようになった。
初めはうまく行かず、すぐに諦めようとしたのだが、2回目にやったとき、それまでとは違って、入らなかったもののカエルがちゃんとジャンプした。それは本人にも何か手ごたえがあったようで、励ますと、何度かトライしてくれ始めた。それでもなかなか入らず、また泣いちゃったらどうしよう・・・とちょっと心配にもなったが、その瞬間、美しいジャンプではなかったが、初めてその子が跳ばしたカエルがバケツに入ったのだ。
見ていたみんなで大喜びして、それでおしまいにしようかと思ったのだが、これはコツをつかんだときに何度かやった方がいいんだけどと、試しに尋ねてみた。
すると、こくりと頷いて、もう一度挑戦してくれた。すると、今度は綺麗にジャンプして入った。その子はその瞬間、最高の笑顔を見せた。そして、こちらが促さなくてももう1匹入れてみせて、あとはニコニコしていた。
やってみて、難しかったり、なかなかうまくいかなかったりすると、投げ出したくなるのは小さい子どもに限ったことではないだろう。ただ、そこで投げ出して、もう二度と挑戦しなければ、一生苦手で嫌な思い出のままだ。(私のスキーのように・・・(苦笑))けれど、諦めずに努力してそれを克服したとき、最高の気分を味わえるし、それは成功の記憶に変わる。
諦めそうになったとき、周囲の励ましで頑張れるときだってあるだろう。その子にとって大切なことであれば尚更、うまく応援して、あたたかく見守れるようになりたいと、その子の笑顔を見ながら考えた。
昨日、連日のハードワークを見かねて迎えに来てくれた同級生に車のライトの下で見てもらったところ「いやぁ、わからん。」との答え。
本日、アシストに入ってくださっている先生に教室の電灯の下で見てもらったところ「2本はありますけどねぇ。」とのお答え。
全く・・・。呑気に「また来ます!」とか言って帰っていったアヤツら・・・。次来たときにはどうしてやろう・・・。
実はこのところ尋常じゃなくバタバタしており、それでも仕事が全然追い着いておりません。睡眠時間を減らせば時間は捻出できるのですが、それをするとホントにダウンするんじゃないかという不安もあり、とにかく睡眠時間は確保して、どうに倒れずにおります。(苦笑)
今週は火曜終電、昨日は0時過ぎに教室を出て、今日も既に23時半を回っており・・・。どうしてこうもバタバタしているのかよくわからないのですが、どうにもこうにも追いつかない・・・。けど、痩せないなぁ・・・なんでだろうなぁ・・・と思っていたのです。
今日、3月末で卒業し、近くの塾に移った中1の双子くんたちが期末テストの結果を見せに(中間はなかったそうで)顔を見せてくれました。男の子で中学生にもなったら、変わってるかなぁと思っていましたし、ご紹介した先の先生が「行ってこい」とおっしゃったみたいなので、しぶしぶ来るんじゃないかしらと思っていたのですが、ドアをあけて入ってきた2人は・・・・・・。
ニコニコしながら現われて、彼らがいた頃とは多少レイアウトが変わったり、机が変わったりしている教室をウロウロ(狭いのに・・・)物色。あれこれとインタビュー。椅子に座り込んで四目並べの勝負までさせられる始末。(笑)
全然変わってなくて、嬉しいようなおかしいような。と、幸せな気分に浸っていたところに、久々に出ましたよ、毒舌な彼らの本領・・・。
鏡じゃイマイチよくわからず、未確認なのですが、泣いていいですか?(苦笑)私、もともと天然茶髪なので、これまで一度も髪を染めたことがないんですけど、そろそろ限界でしょうか?ていうか、ホントに白髪いっぱいなんですか??(泣)
今の学習法に出会って、授業のスタイルも何もかもがそれまでとかなり変わった。日々、子ども達とのレッスンを通して、まだまだ私も発見をするし、なんだ・・・これってこう考えたらめちゃめちゃ簡単やん?と思うような発見も少なからずある。
私自身は塾にも予備校にも行ったことがなく、物心ついて以降、親や兄から勉強を教わった記憶もない。つまり、私にとって「勉強を教わる」ことの経験は全て学校によって与えられたものだ。幸いにして、私にとって学校の思い出は素敵なものが多く、もともとテストの点なんてよければ嬉しいけど、悪くても気にしないというような性格だったから(さすがに高校で留年とかってのがかかってくると多少は気にもしたけれど)、辛い勉強を必死でやったという記憶もあまりない。
そんな私が「塾の先生」になった。そのときの指導スタイルのベースはやはり自分が受けてきた学校の先生たちだったのだろう。それをベースに、あとはいかにわかり易くするか、記憶に残りやすくするか、そんなことを工夫しているに過ぎなかった。
それも明らかに経験から出来上がっていた固定観念に違いない。それが今の学習法に出会って、かなり大きく変化した。そして、その変化は徐々に高学年、中学生に対してまで私のスタイルを変え始めた。
以前の私は、中1の学習に入る最初には、プラスとマイナスが並んだらマイナス、マイナスが2つ並んだらプラスというような、私自身が「教わった」ことを、少しでも印象に残るように説明するところから始まっていた。
しかし、低学年の頃から一緒にやっている現在6年の子がつい先日から中学のワークでの学習を始めた。さて、どうするかなと思いつつ、これまでの彼を見ている限り、何も言わなくてもある程度できるんじゃないか?という気もしたので、ページを開いて、ひとまず、プラスのついている数は0より大きく、マイナスのついている数は0より小さいということだけを念のため確認し、そのあとは問題を指さし、「これ、わかる?とりあえずやってみて」と恐ろしく乱暴な(けど、大抵どの子にもいつもこれなんだけれど)ことを言ってみたところ、
そう尋ね返してきた。「普通」ってのはなんやねん?とも思ったけれど、「ま、やってみて。見とくから」と答えると、彼はなんでもないことのように解き始めた。
加法に関しては全く説明は要らなかった。減法のときに、マイナスが並んだ状態について、ただひと言「減点が減るってこと」とだけ言ってやってみてもらった。すると、ところどころミスはしたものの、やはり殆ど何も言わずに解いてしまった。
前回、チラッと乗法に入ってみたが、結局これもどうやら感覚的にわかっているような気配だ。きっとまだまだこんなことが沢山あるんだろう。
考えてみれば、私達大人は例えば新しい携帯やパソコンを買ったとして、マニュアルを丁寧に読んでから触り始めるという人は少数派なのではないだろうか?結局、とりあえず使ってみるという人のほうが圧倒的に多いはずだ。その上で、わからないところだけをマニュアルに戻ってみたり、誰か詳しい人に聞いてみたりするという人が大半なのではないだろうか。
自分たち自身がそうなのに、そんな自分達も学校の勉強に関してだけは、面白くなくても説明を聞かされ、公式を覚えるよう言われ、あとはろくに考えもせず、それに当てはめて解いていくなんてことを来る日も来る日も繰り返していたという人が大多数なのだろう。だから、勉強だけは「まず説明」と思い込んで(思い込まされて?)いるのだ。
もちろん、説明が必要なことはあるし、覚えるべきこともある。ただ、それは当然のことではないのかもしれないと疑ってかかる必要があるような気がする。
思い込みを捨てれば新しい発見がある。そんな毎日が私はとても楽しい。(けど、最近は時間が足りなくてややジレンマなのだが・・・。(苦笑))
今年度は自分の体力面も考えて、中学生に関しては募集をクローズしているが、期間限定で友人の甥っ子くんと勉強することになった。事前の話では計算は速いが文章題が苦手、関数や図形はイマイチ自信なしと、まあ、よくいる中学生のパターンという感じの話を聞いていた。
体調を崩し、入院したため期末テストが受けられなかったという事情などもあってそのあたりも含め、夏休みのうちにリカバリーをというのが目標なのだが、さて、どのあたりがあやしいのか確認してみようと1年の復習からざっと流してもらっていた。
聞いていた以上に計算は速い。しかし、どうも単に速いというよりは、数量感覚というかセンスを感じる。この子が本当に文章題ができないんだろうか?と思いつつ進むと、文章題を見た途端、「これ無理っす・・・」とろくに読みもしないうちに白旗。
そんなはずはないと、図を描いてもいいからとにかくまず考えてと言ったところ、彼の頭が動き始めた。もちろん、それでも難しそうにしているところもあったので、そういうところは一緒に問題を見ながら質問をして考えていってもらったわけだが、彼もやはり「速さ」と聞けば「割るんだったか、掛けるんだったか」をまず考えようとする。挙げ句「公式忘れました・・・」なんて言う。
そこで、「じゃ、時速30キロで2時間走ったら何キロ進むん?」と尋ねると、自信満々に「そのっくらいわかりますよ!60キロっす。」と答える。「じゃ、80キロの距離を時速40キロで走ったらどんだけかかるん?」と尋ねると、またも簡単そうに「2時間っす。」と答える。
「わかってるやん。」そういうと、「そのぐらいわかりますよ、当然っす」みたいな答えが返ってくる。それでも速さはわからないと真顔で答える彼に、「おんなじちゃうん?」というとぼんやりと私の言っていることがわかった風だった。さて、この子のどこが「速さの公式」の暗記を必要としているんだろう?
また、所持金の問題で、片方が1800円。もう片方が400円。多い方がいくらか少ない方へ渡したら前者が後者の3倍になったという問題を、式がうまく作れなくて悩んでいる。
「じゃ、図描いたら?」と言って、線分図で1800円とだけ書き、「下に長さ考えて400円の線描いて」というと、それらしい長さで線を描いた。そして、次の瞬間、「あ、150円っす。」と答えたのだ。(見た瞬間わかるなんて私より賢い・・・(苦笑))
「すごいなぁ。なんですぐわかるん?」と言っても、なんだかうまく答えられず、それでも文章題には自信がないと言う。
まあ、確かに中学校の、それも特に定期テストなんかじゃ、「方程式を作れ」という問題の後に「それを解け」の2段階になっているものも少なくないから、答えだけ出ても○がもらえないこともあるのが現実だ。
しかし、じゃあ、方程式は何のためにあるんだろう?もちろん、方程式で考えた方が便利な問題もあるし、方程式なんて必要ないなんていうつもりはない。ただ、「方程式の利用」なんて単元なのであれば、あくまでも方程式は「利用」して「答えを出す」ことが目的なはずだ。であれば、目的が達せられれば図を描いて解こうがいいのでは?と思わなくもない。
今の学習法や教材に出会ってから、学校ではいかに覚える必要もないことを山のように覚えさせられ、挙げ句多くの子どもが不必要に「速さ嫌い」、「関数嫌い」などにされてしまっているような気がしてならない。
考えることの楽しさを知っている子ども達が学校の勉強が面白くないという理由がよくわかる。なんとかもう少し柔軟な対応をしてもらえないもんだろうかと、そんなことを思う。
私がこのブログを書き始めた頃、かなりの長編で恩師の思い出を書かせてもらったことがあります。私は先生方に恵まれたなと思っていますが、中でも特にお二人の方の印象が強く、高校時代の恩師は純粋に「本当にお世話になった」と思う素晴らしい方ですが、今は亡き中学時代の恩師は本当に不思議な存在だなぁと、改めてそう思いました。
恩師が亡くなられたのは私が独立する前の年の夏でしたから、もう5年になります。とてもまめで気配りばっちりの友人にとっても、どうやら最大の思い出の先生であり続けているようで、彼女は入院中の病院へも何度もお見舞いに行き、亡くなられた後もご自宅までお参りにも行き、毎年、祥月命日の月は言うまでもなく年に何度かのお墓参りも欠かさずしているという素晴らしい友人です。
去年は忙しさにかまけて結局お参りに行けぬまま過ごしてしまったのですが、今年は命日にはほんの少し早いものの、彼女が予定を合わせてくれて私は2年ぶりに先生のところに行ってきました。雨かなと思っていたのですが、幸いお参りが済んで車に戻るまでは先生が守ってくれていたようで、車に乗ったら雨が本降りになりました。
お墓を手で磨きながら、友人と一緒に思い出話。友人はお花をきれいに整えてくれながら、あんなことがあったね、こんなことがあったねと、先生の前で色んな話をしました。ただ、友人も同じことを言っていましたが、先生は数学の先生だったものの、授業がうまかったとかいう印象が全く残っていません。わかりにくかったという印象もないので、お上手だったのだろうと思うのですが、先生のお蔭でわかったとか、教えるのがうまかったとか、そういう記憶は見事なまでにないのです。
じゃあ、何があって恩師なんだろう?と色々思いおこすのですが、思い出されることは、私の昔の超おかっぱ頭を見て、クラスのみんなの前で「ドイツ軍のヘルメットみたいやなぁ」と言い放ち、その後何かにつけ「ヘルメット!」と男子などからからかわれたこと、横暴な席替えの一件で数ヶ月ずっとケンカを続けていたこと、授業中に足を組んでいて爆弾発言をされたこと、先生は何にも関係ないのに部活のもめごとで話し合っていたときに割り込んできて更にケンカになり、売り言葉に買い言葉で副キャプテンを辞めたこと・・・そんなことしか思い出せないのです。
友人も、「ほんま、今やったらあんなこと言ったら大変や!」なんて言っていましたが、確かにそれは間違いない。今なら大問題になっていただろうというような言動をビシバシしていた先生でした。
どうしてケンカが収束したのか、なぜ大好きな先生になったのか・・・。いくら思い出そうと思っても思い出せないのです。それでも私はいつの間にか、先生のことが大好きになっていて、卒業する頃には「いつか先生と同じ中学校の先生になるんだ」と夢を描くようになっていました。
先生の前で友人とそんな話をあれこれしながら、気づくとやっぱり涙があふれていました。これが本当に不思議で、会えなくて淋しいとか、辛いから会って話を聞いてほしいとか、そういう感情はないんです。もちろん、お見舞いにも行かないままに先生が亡くなられたことはずっと悔やんでもいますが、お蔭で私の記憶の先生はいつもはつらつとお元気で満面の笑顔です。なのに、こうして先生のことを思い出すと、なぜだか必ず涙があふれてしまうのです。
説明はつかないけれど、多分とてもとてもご縁のあった方なんだろうなと思います。そして、こんな歳になっても先生の前でバカな話をしながら泣き笑いになっている私たちのことを、いつもの笑顔で「お前ら変わらんのぉ。アホちゃうか〜!」なんて言っていそうな気がして、これまでやってこられたお礼とこれからも頑張りますとの報告をして帰ってきました。
今日は教材の勉強会で京都まで行ってきました。梅雨とは思えぬよいお天気で、ちょっとした小旅行気分と言いたいところですが、昨日までの1週間がかなりハードだったため、行きの電車では眠いわ、おでこにじんましんが出るわ(疲れているとなのか、時々出てしばらくすると治まるんですけど・・・)、なんだかもうダメダメな感じでの参加になってしまいました。
しかし、会場では思いがけない方が来られていたり、おまけにお目にかからなかった間に大きな変化がおありだった先生がおられたり・・・。初対面の方々に混じるのが苦手な私としては、半分以上の先生方と面識があったのは助かりました。
というわけで、今日ご参加されていた先生方でこちらを見てくださる方もおられるのかもしれませんので、今日はお疲れ様でした。
なぜか私ごときが皆さまにお話をさせて頂いたりしまして、あまりのおこがましさに声も振るえ、自分が一体何を話したのか、もっと他に話そうと思っていたことがあったんじゃないか・・・となんだかもうダメダメっぷりを目いっぱい発揮してしまいました。何卒お許しください。
ただ、大先生は偉大過ぎて、私は残念ながらあのようにはなれませんので、そういう意味では私なりに困ったところをこんな風に解決してきたということなど、もしかしたら何かお話できることもあるかもしれません。(だったら今日話せよと?(苦笑))このところ慢性的にバタバタしておりますが、子どもたちのためにできることがありましたら、させて頂きたいと思っていますのでご遠慮なくご連絡くださいませ。(特に、今日お名刺をくださった福岡のO先生、京都のI先生、私なんかで宜しければいつでもご遠慮なく。)
今日はまだ導入されていない塾の先生方も数名参加されていましたので、またどこかでこの教材を使った教室や塾が開かれることと思います。遠くて通えない・・・。近くにない・・・。とお嘆きの皆さまの近くにもできるかもしれません。ご期待ください。(笑)1年半前ぐらいに京都でセミナーに参加させて頂いたのがひとつの転換になったように感じていましたが、今回もまた京都。何か京都にはご縁があるのかもしれませんね。
もう何年も前から、七夕近くなると色々なところに笹が飾られていて、側に短冊が置かれていたりするのを見るたび、(ああ・・・願い事を書きたい・・・)と思うものの、一人で真剣に書くのもなんだかはばかられて、ずっと書けずにいます。
いっそ、さくら個別さんとかみたいに教室に笹を飾って短冊も用意いちゃうっていう手もあるのかもしれませんが、その場合、私のお願い事は必ず子ども達の(少なからずお母さん達も・・・)目に触れることになるわけで、そうなると、「嫁に行きたい」とか「嫁がほしいとか」(をい・・・)書くわけにもいかないかなと。(苦笑)
そういえば、先日自宅の近所の商店街に我が母校の子達が書いた短冊が飾られた笹がずらりと通り中に飾られていたのですが、たまたま信号待ちで側にあった短冊に目をやると、確か3年3組とか書かれていたはずの短冊には・・・。
とかってのが、数枚のうちに2枚も目に飛び込んできました・・・。3年生の七夕のお願い事がそれか・・・と、なんだか複雑な心境になってしまった私でした・・・。
さて、今週は新入会の小学生さんたちが数人いたので、普段に増してハードな1週間でした。でも、やっぱり子どもたちはとっても可愛くて、お蔭でどうにかこうにかもちました。そして、出不精の私には珍しく、明日は京都で教材の勉強会に参加します。ちょっと今週ハード過ぎてヨレヨレになっていそうで不安です・・・。その勉強会を主催されるのは先日私のことを「20代」と超ガセ情報を流された方の会社。明日はその方にもお目にかかることになりそうですが、きっと「なんでこいつが20代になんて見えたんだろう・・・」と思われることと思います。(苦笑)参加される先生方、どうぞ宜しくお願い申し上げます。
以前にも何度か同じようなことを書いているような気もするが、何度も思うということはきっと私のこだわっている部分なのだと思うし、最近になってここを読んでくださるようになった方もおられると思うので、やっぱり書かせて頂こうと思う。
先日、ある場所で小さい子ども達が大騒ぎをしていた。その場所は一般に考えて、絶対大騒ぎをする場所ではない。側にいたその子のお母さん達は他のことに夢中でいっこうに注意する気配すらない。その場で私は部外者だったので、怒っていいものかどうかしばらく悩んでいたのだが、そのうち、その場の関係者の方がその子たちに注意をした。それでも、側にいたお母さん達は慌てる様子もなく、関係者に詫びることもなく、そのままやり過ごしていた。
その子ども達は、どうやら一般的には「賢い」部類に入る子ども達らしい。お母さん方も、いわゆる「お勉強」という面にだけ気をとられているように感じた。
さて、うちの教室では、子どもが勉強ができないことに対しては余程のことがない限り怒らない。(できるはずの子がふざけていたりすれば怒ることもあるが。)
しかし、例えば、まだレッスン中に早々とやってきた子たちが大きな声でしゃべったり、教室の中でバタバタし始めたら即注意する。注意しても聞かなければ、ガツンと本気で怒る。
うちではレッスンの最後によく頑張ったねということで飴をあげるのだが、先日そのゴミが外の階段の下に落ちていた。翌日から全員に「もしまたゴミが落ちてたら全員飴中止するからね。絶対外に捨てないで。もしも誰かが捨てていたら、悪いけど拾ってゴミ箱に捨ててね。」そんなことを言ってきかせた。
個人的に、飴のゴミを道端に捨てるような子は勉強なんかする以前の問題だと思っている。人がまだ勉強しているのに、迷惑を考えず大声で騒ぐような子は「賢い子」だとは思わない。
小学生で方程式が解けようが、難関中学を受験するためにどれだけ必死で勉強してようが、社会のルールが守れない、人の気持ちを考えられない、そんな子どもじゃ意味がないと私は思っている。
だからこれからも、私のところでは勉強ができなくて叱られることもやめさせられることもないけれど、ルールが守れなかったり、人に迷惑をかけたりしてやめさせられることはあるかもしれない。
勉強だけができる子なんて何の魅力もない。そんな子が大きくなったって、幸せになれるとはどうしても思えない。少なくとも私はそう思っているから、そう思われない方のお子さんはお預かりしてもお役に立てないだろうと思う。例えば、公共の場でさんざん騒ぎまわっていても注意ひとつしない親御さんのお子さんと一緒に勉強することは多分できない。
震災に遭ったときにしみじみ思ったのだ。本当に困ったときに必要なのは学力なんかじゃないし、その人の人間性が全てなんじゃないかって。そんな究極の状況には滅多にならないよなんていう方もいるかもしれないし、それでもお金があればなんとでもなるだろうという方もいるかもしれない。
それはそれでその方の価値観だ。間違っているとかいうつもりもない。ただ、うちがそういう風に思ってやっている教室なんだってことを、もう一度お断りしておこうと思った。

 

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