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このページは 2007年 07月 15日 02時12分38秒 に更新した情報です。
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[ 124] ことばのレシピ 敬語実践の巻 「〜いただく」と「〜くださる」
[引用サイト] http://www3.kcn.ne.jp/~jarry/keig/c01c26.html
「少々お待ちいただけますか」と「少々お待ちくださいますか」という表現はどちらも使えるようですが、この表現には違いがあるのでしょうか、それともどちらをつかっても問題ないのでしょうか。 「いただく」と「くださる」の基本語は、それぞれ「もらう」と「くれる」です。どちらも「相手から物を受け取る」行為ですが、基本語に戻してみると違いがはっきりします。自分側の行為であれば「もらう」=「いただく」=謙譲語。行為の主体が相手側にあれば「くれる」=「くださる」=尊敬語です。 「この問題についてお考えいただく」と「この問題についてお考えくださる」を比べてみましょう。「お考えいただく」は「依頼」、「お考えくださる」は「感謝」の気持ちが感じられますが、命令として「お考えいただきたい」「お考えください」と使った場合には、こちら側からの依頼が含まれる「お考えいただきたい」の方がきつく感じられると思います。やはり「いただく」にはこちらの思いが強く含まれていることがわかります。 例文の「少々お待ちいただけますか」と「少々お待ちくださいますか」は、「〜か?」という疑問形=依頼の表現です。「こちらからお願いして待ってもらう」のですから「お待ちいただく」という表現の方がふさわしいということになります。相手から「待たせてもらいます。」と意思表示された場合には「お待ちくださる」と表現するのがよいでしょう。「くださる」は相手の気持ちを受けるので「えっ、お待ちくださるのですか!?」「私みたいな者を好きだといってくださるのですね・・」という感情的な表現ができるということです。逆に「〜くださる」がなじまない場合があります。たとえば、こちらから無理にお願いして何かをしてもらう場合です。「手伝っていただけることになりました」とは言えますが、「手伝ってくださることになりました」とは言えません。後者の表現では、相手が自主的に手伝おうとしているように感じてしまうので、ニュアンスが違います。 整理すると以下のようになり、「いただく」「くださる」にはそれぞれ3つの基本的な意味があることがわかります。 A.待っていただく(依頼) B.お待ちいただく(依頼) C.お菓子をいただく(もらうの謙譲表現) A.待ってくださる(尊敬・感謝) B.お待ちくださる(尊敬・感謝) C.お菓子をくださる(くれるの尊敬表現) どちらにしても相手に対する働きかけの表現なので、「すみませんが、そこの本を取っていただけませんか」と「すみませんが、そこの本を取ってくださいませんか」などのように感謝や尊敬の気持ちをこめて依頼する一般的な行為には、厳密な使いわけは必要ないといえます。「こちらが無理にお願いする場合」「相手がぜひしたいと意思表示してくださった場合」に限り使いわけるのが自然でしょう。書面で表現する場合ならともかく、その場でぱっと表現しなければならない会話の中では、現在ではこの2つの表現はほぼ同じ意味あいを持っていると言えるでしょう。
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[ 125] 言わせていただく
[引用サイト] http://www.sf.airnet.ne.jp/ts/language/itadaku.html
「させていただく」と言う人が増えている。耳障りなので使わないよう気を付けていたはずなのに、私自身つい使ってしまったことがある。そう言いたくなってしまう理由は何だろうか。 「させていただく」は自分の行動について使われるが、ほとんどの場合、謙譲語を使うべき状況で使われている。以下に主な動詞をまとめた。 「させていただく」、「食べさせていただく」などの表現は単純な「する」、「食べる」とはかなり異なる。使役の「させる」と受益の「もらう」があり、相手の意志に関わらず自分のために実行する決意が感じられる。この不遜(ふそん)な言葉使いは、話者が本来表したいだろう謙譲と一致しない。我々が「させていただく」を聞いたときに不快になるのは、話し手の語法と意図に齟齬(そご)があるためである。試しに「させていただきます」を聞いたら「させてもらいます」に置き換えてみると良い。聞き手を無視した少し失礼な表現になるはずだ。ただし、相手の許可を得る場合や、相手の意志に反して何かを実行するときに使う「させていただく」はもちろん問題ない。「何と言おうと、やらせていただきます」と言うのはおかしくない。 似た表現に「お〜する」があるが、これは単純な謙譲ではない。話し手が聞き手に何らかの利益を与える行動にしか使えないのだ。例えば、ある日本語学習者が教師に送った手紙に、「夏休み、故郷でお泳ぎしました」と書いてあったという。この文が奇妙なのは、話し手が泳ぐことが聞き手の利益にならないからである。一方、「お歳暮をお送りしました」というのは良い。送る行為が聞き手の利益になっているからだ。このように「お〜する」は単なる謙譲ではないので使うのに注意を要する。 さて、不快に感じているにも関わらず私が「させていただく」を使ってしまったのは、「始める」に対してである。「これから会議を始めます」を謙譲表現にしたかったのだが、すぐに出てこなくてつい「これから会議を始めさせていただきます」と言ってしまった。確かに「始める」に対応する謙譲語は存在しない。もちろん「お始めします」も不自然だ。私も会議に参加するから利益供与という感じはないからだ。ややあって「開始いたします」という言い回しに思い至った。「始める」ではなく「開始する」なら、「開始いたします」とすぐ謙譲表現に変換できる。同様に、「終わる」は「終了いたします」と、「伝える」は「連絡いたします」と言える。この言い換えには和語の動詞を漢語で置き換える語彙力が必要である。一方、「させていただく」を使えば、違和感はあるものの機械的に変換できる。どんな動詞でも「させていただく」を付けることができるからだ。従って語彙力が低い人ほど「させていただく」を多用すると予想できる。 そして実際、一般の日本人の漢語力は低下していると思う。我々にできることは、漢語力を鍛えるか、謙譲の意味の「させていただく」を受け容れるかである。私は当然、前者を選択するべきだと考える。「させていただく」は本来、純粋に謙譲だけを表す表現ではないからだ。その違いを無視することは、日本語に対する感性を曇らせることに他ならない。第一、長たらしくて情報の密度が下がる。 無論、言語学を少しでも学んだ者なら、言語は必ず変化するものであり、正しい言語というのは存在しないと知っている。しかし変化の方向性は、言語使用者が主体的に選べるのである。
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